僕は仕事でメンタルをやられて、人生で初めて精神科を受診しました。
「うつ状態」と診断されて、現在休職中です。
まさか自分がうつ状態になるなんて…。
精神科の先生にはうつ状態とはうつ病の一歩手前の状態だと言われました。
実際に日本では100人に3〜7人くらいの人がうつ病になるそうで、意外に珍しくない病気になっているようですね。
僕の場合、うつ病には至っていませんでしたが、休職前のようにバリバリと仕事ができる状態ではないですし、頭の回転もかなり遅いです。
これから以前のように仕事ができるのだろうかという不安もあります。
できればこうなる前に休んだり、然るべき人に相談するとか対処しておくべきだったと思っています。
今バリバリと働いている皆さんに僕の経験を役立てていただきたいとおもい、休職に至った経緯についてお伝えしたいと思います。
現在の仕事に至るまで
僕は専門学校を卒業し、理学療法士として田舎の小さな病院で働いていました。
そんなに意識高い系でもなかったし、別に理学療法士になりたいと思ってなった訳でもありませんでした。
ただ、「窓際の理学療法士にはなりたくない」
「いつか本とか書けるようになりたいな」
と思うくらいの平々凡々な理学療法士でした。
ですが、一人の患者さんの死をきっかけに狂ったように勉強会に参加したり、学会発表するようになりました。
論文も書きましたし(英語は無理でしたけれど)、専門誌の執筆もしました。
頑張って、狙ってというよりは、ただ目の前の仕事をガムシャラにやった結果、そこまで辿り着いたという感じでした。
すると、ある医療法人から「新しく介護事業をやるから来ないか?」
とヘッドハンティングをされることになりました。
当時の年収は450万円程度。提示された給与は年収で600万円程度でした。
僕が働いていた病院が公立病院で、典型的な年功序列体制でした。
どれだけ学会発表しても、論文書いても平社員だし、昇給も他の人と一緒。
そんな体制にちょうど嫌気がさしていた頃でした。
僕は病院を退職し(安定した公務員を捨てました)、現在の医療法人に転職しました。
その当時結婚しており、子供も3人いました。
これが今から6年前のことです。
新米管理職としてのスタート
入職前の僕の仕事内容に対するイメージと実際の仕事内容は、明らかなギャップがありました。
施設の管理者とか責任者って実際には肩書きだけで、自分の得意分野の仕事(技術職)をアドバイザー的にやるってイメージしてました。
でも当時、私たちの法人にはバックヤード業務の正社員は一切いませんでした。
給与計算や労務関係を少し理事長奥様がやっているくらいでした。
新たに老人ホームや訪問事業を開始するタイミングで、事業の立ち上げを全てやってほしいということでした。
立場としては介護事業の事業部長といったところです。
正直迷いました。
「こんなつもりじゃなかった」
「裏方も書類も、人事も労務も全部自分が一からやる??」
これまでよりもよい待遇で雇ってもらったということもあり、渋々引き受けることにしました。
今までただの平社員の技術職だった僕が、よくやったなと思います。笑
準備期間半年で全部で5事業所を一気に立ち上げました。
計画では1年で黒字化する予定ということでしたが、採用や入居受け入れ体制をなかなか整えることができず、もうすぐ一年というところになっても黒字化することはできませんでした。
すると、ある日理事長に呼ばれて、
「これから君は管理監督者だから、残業代は固定(月20,000円程度)。それ以上は出さない。」
「その代わり管理監督者だから、いつ出勤してもいいし、いつ帰ってもいいよ」
と言われる始末…。
↓管理職と残業代についてよく分からない!という方はこちらの記事を読んでみて下さい。
具体的な雇用契約書や労働条件通知書も一切渡されず。
経営が計画通りにいっていなかったから、僕の残業代を削りたかったのでしょうね。
こんな激務の中でいつ出勤してもいいし、いつ帰ってもいいって…。
できるはずないじゃん。
この一件から僕の会社に対する信頼は一気になくなりました。
職員は1年かけて40名程度採用する予定でした。
オープニングメンバーとして採用したのは15名。
医療技術職として勉強することには慣れていましたので、管理職になるにあたって本は数冊読んでいました。そして当時は無駄に自分に自信がありましたので、何でもできると思っていました。苦笑
最初に躓いたのはオープニングメンバーの中に紛れ込んだ問題職員の対処でした。
指示に対して不平不満、文句は当たり前。
おかげで労働基準監督署に怒られないような「退職マネジメント」を身につけることができました。笑
そんなこんなで採用や退職を繰り返しながら、計画よりも大幅に遅れて、40名の職員を採用することができました。9割9分の職員が年上部下です。
開設から2年が経っていました。
全く利益を出せない
採用計画が遅れていましたので、収支も非常に厳しい状況が続いていました。
立ち上げの際にはコンサルも導入していたのですが、このコンサルが頼りにならなくて…。
全く計画通りにいかないまま、「自分たちにできることは全てやった」と1年で撤退してしまったのでした。
毎月経営状況を報告する度に理事長から
「どうするの?」
「うち潰れてしまうぞ!」
とプレッシャをかけられ…。
でも頼る人は誰もいませんでした。
この頃には、法人本部に経理のスペシャリストが入社し、本部機能ができつつありましたが、介護のことは基本ノータッチでした。
どうやったら職員に気持ちよく働いてもらえるか、そんなことばかりが気になって勉強していました。
そんなこんな開設から4年が経過し、職員との信頼関係も構築し、ようやく経営も軌道に乗りかかってきました。
ここまでくるのに、本当に多くの時間と労力を割きました。
他人の機嫌にものすごく左右されてしまい、仕事を部下に振るということがうまくできませんでした(休職中に本を読む中で気づきました自分は多分HSPなのだと)。
毎日帰りは遅いし、休日出勤もある。
おまけに残業代は出ない。
採用のことを考えると、部門の収益が上がらなくても職員の昇給は少しでもしなければならないけれど、自分の給与を上げるなんてもってのほか。
なので、転職してから昇給は全くありませんでした。
遅くに帰ると妻はいつも仕事と家事、子供達の世話でぐったり。
夫婦の会話も事務連絡のみでした。
「まあ、経営は何とか軌道に乗りそうだからいっか」
そう思っていた矢先に猛威を振るったのが新型コロナでした。
気が休まることがなかった3年間
介護事業所で職員や利用者がコロナに感染するということは一大事でしたので、
職場内でコロナ感染、疑いが発生すると
休日だろうが、夜だろうが、
一切関係なく電話が鳴りました。
コロナが流行した3年間は、
仕事のことが頭を離れることはなく、
現実逃避のために、休日はアルコールを飲まずにはいられませんでした。
2022年の12月には施設内でクラスターが発生。
年末年始、休むことができたのは元旦だけでした。
このクラスターをきっかけに上向きかけていた経営状況は一気に悪化しました。
2023年5月に新型コロナがようやく5類になりましたが、
そのときには、気持ちはもう燃え尽きてしまっていました。
そしておかしくなる
「何年もできる仕事じゃない」
「早く後任を育ててこの立場から離れよう」
そう思いながら毎日仕事をしていました。
今思えばこの頃から少しおかしかったですね。
権限移譲を進めていて、仕事量は減ってきていたはずなのに、
凡ミスが目立つようになっていました。
そしてある日の朝。
ちょっとした僕のミスに対して、
大勢の職員がいる前で
年上部下から猛烈な罵声を浴びせられるのでした。
「ぷつん」
これまで何とか張っていた緊張の糸が切れる音がしました。
僕はすぐに理事長に「話したいことがある」と連絡し、「退職願」を書き、提出しました。ものすごく衝動的でした。
「事業の収益が上がらないのは、全て僕の責任です。能力不足です。この状況の中で続けていくことはできません。辞めさせて下さい。」
そのとき理事長は
「全ての責任は自分にある。考え直してもらえないか?」
と言いました。
「責任って何?ふざけるな」って思いました。
本部からも引き留められ、
何とか「もう一度頑張ってみようかな」
と思っていた矢先。
またしても年上部下。
大勢の職員が集まる前で罵声を浴びせられました。
このときは僕のミスはなかったですけどね。
もうそのときの僕には職場に行くという選択はできませんでした。
うつ状態と診断される。
翌日「自分は絶対にお世話になることはない」
と思っていた精神科病院に僕はいました。
受診結果は
- うつ状態
- 1ヶ月休職
でした。
精神科受診の様子、診断書をもらう様子についてはこちらを読んでみて下さい。↓
これまで僕は、精神疾患になって休職した職員の面談や
復職支援も行ってきました。
だからこそ、「まさか自分が」でした。
とはいえ、このときの僕はとりあえず「今日から仕事に行かなくてもいい」という安心感しかありませんでした。
僕がうつ状態になって、休職することになった原因
診察のときに先生に言われたのは「自己肯定感が著しく低くなっている」ということでした。
自分で今の仕事について振り返ってみると
- やりたくない仕事だった
- 納得いかない条件でさせられていた
- 管理職で自分の感情は一切殺していた
- 常に自分よりも他人優先
自分軸がなくなっていて、自分が何がしたいのか、好きなことは何なのか、自分というものが分からなくなっていました。
自分のことを全く大切にできていなかった。
これが全てだと思います。
もうこんな風にはなりたくないです。
なのでこの休職期間の間に
- 自分って何が好きなんだろう
- 自分の得意なことってなんだろう
- 自分が本当にやりたいことはなんだろう
とことん自分と向き合って、自己分析を進めてみたいと思っています。
今回の僕の経験が、誰かの役に立ったら嬉しいです。
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